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本の話

2013年の初回だった先週のアバランチ、寒かったし、皆さんお仕事帰りでお疲れだったでしょうに、足を運んでいただきありがとうございました。告知の遅れは完全に僕のせいです、たいへんご迷惑をおかけしました。はたやさんに出していただいたフード、から揚げパンとチキン南蛮パンとソースカツパン、どれもむちゃんこおいしかったなあ。


さて、長らくご愛顧いただいた我々のイベントアバランチも、次回3月16日土曜日で最終回となります。このブログはどうなるんでしょうか。他のメンバーの筆不精を良いことに、ほぼ僕の私物と化しているので、アバランチが終わってもときどき駄文をぱちくり書いて載せられたらいいなと思います。

「誰も読まない」とさんざ自虐をかましてきたこのブログ、実は最近「読んでるよ、おもぴろいね」と言ってくださる奇特な方々と意外なところでぱったりお会いする機会も少なくないのでして、ああああ書いててよかったああああと嬉し恥ずかし驚き桃の木20世紀したりしているのですが、それでなくとも自分のちっちぇー脳みその中身を露出狂のように披瀝する場があるというのは、幸福なことだなあと思っております。

とは言い条、まだまだ書きたいこともいっぱいいっぱいあって、ネタのメモは保存してあるのに遅筆すぎてアップに至っていない物も結構あるんです。音楽も勿論だけど、映画のこと本のこと、ゲームのことたべもののこと、あとやっぱりエロ話もすごく書きたいんだけど、イベントの宣伝ブログという性質上、かけないの。ほんとうに誰も読まなくなってしまう気がするから。

で、今日の記事なんですが、昨年末アップした2012年ベストディスクの記事の前後にアップしようと画策していたものの、年末毎日飲んだくれていたため幻となった「2012年ベスト本」記事から、1位のやつを抜粋して載せようと思います。いわば未発表音源のボーナス・トラックですな。誰にもボーナス感なんか無いのは知ってる。

今や音楽鑑賞以上にニッチな趣味になってしまった読書だけど、こんなにコスパの良い趣味も無いのになあ。だって図書館に行けば、本タダで借りられるんだぜ。画集だってマンガだってタダなんだぜ(おまけに美人司書もいる!!)。古本屋に行けば文庫100円くらいだし。それでいて、言葉というのは音や映像以上に僕の脳みそをブッ飛ばしてくれる。パティ・スミスも「あたしにはランボーの詩があればヤクなんて要らない」って言っていたし(ランボーじゃなくてボードレールだったかも・・・)、なんか退屈だなあという人は、パチンコなんか行かずに市立図書館に行ってみてはどうでしょう。

※パティ・スミスといえば!MC5のフレッド・”ソニック”・スミスとの間の娘さん(つまりロックンロール最強の遺伝子)、ジェシー・スミスさんのバンドBelle Ghoulが、僕の大大大好きなスペインのレーベルElefantから出したデビュー7インチ、最・高!!!
モータウンビートにのって唾を吐こう!SICK OF IT ALL! SICK OF IT ALL! イェイイェイ!




脱線した。ここからまた本の話です。
ブルックリン・フォリーズ / ポール・オースター 柴田元幸 訳 (新潮社)
The Brooklyn Follies / Paul Auster

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前作「オラクル・ナイト」も素晴らしかったポール・オースターの新刊は、ブルックリンに暮らし日々まぬけ行動をくりかえす、だめにんげんオールスターズの群像劇。

熟年離婚+ガン告知+生き甲斐だった保険業からの退職、というコンボにすっかりいじけきった主人公のおっさんをはじめ、どいつもこいつもあっちでだめだめ、こっちでだめだめやっている。せこい希望を夢見ては、まんまと袋小路にはまりこんでいる。この小説は、彼らが繰り返してきた大小無数の愚行(follies)、その集積。

たとえば主人公の甥、文学者としての輝ける将来を約束されていたはずのトムは、しょうむないことでみるみる零落し、タクシー運転手を経て胡散臭い古書店主の下働きの身になる。あらゆる事に妥協し、あらゆる事に悪態づいて溜飲を下げる、くだらない生をやり過ごすだけの毎日。そんな彼が叔父のネイサンにフランツ・カフカ晩年のエピソードを語る場面で、僕は涙が止まらなくなってしまった。そこには僕が本のページを繰る理由、レコードに針を落とす理由、映画館の暗闇でスクリーンの光を見つめる理由が書いてあったから。

お気に入りの人形を失くしてしまった女の子を慰めるためにカフカは、いなくなってしまった人形からの手紙を捏造し、3週間毎日欠かさず女の子のもとへ届ける。トムはこのエピソードを評してこんな風に言う。
―カフカは女の子の喪失を、違う現実に擦り変えようとしたんだ。それは虚構には違いないだろうけど、虚構の世界=物語の世界に生きる幸運に恵まれた者にとって、現実世界の苦しみなんかは消失してしまうんだ。物語が続く限り、現実はもはや存在しないんだ―

我々の日常を規定しているこの厳然とした現実世界に、我々が丸裸で対峙しているかといえば、僕はそうでないと考えている。僕らは日々絶えず、自己の生を物語化しているのだ。文学・映画・絵画・その他のアートに触れるとき(アートとは必ず「物語」を内包したものであるから)、あるいはそれらを創作するとき。たとえばTwitterやFacebookでの短文投稿でさえそうだと思う -「恋しているわたし」「ともだちにかこまれて愉快痛快なわたし」「夢にむかってがんばっているわたし」「まぬけなわたし」「傷ついているわたし」。他愛ないつぶやきだろうと、これらは人生という無意味の連なりに意味を与え、肯定できるものにするための営み― 各々の物語を編み上げてゆく行為に他ならないのではないだろうか。そしてその行為には、今まであなたが触れてきた作品たちの言葉、そこに表現された物語が、意識する/せざるとに関わらず寄与しているはずだと思う。
「現実」の世界と「虚構」の世界とでは、それぞれ異なる倫理観・価値観が支配している。現実がクソまみれでも、虚構の世界で翼を得ることができればいい。ただし、僕は現実vs虚構という二項対立の話をしているのではない。逆説的だと思われるかもしれないが、僕らはきっと「現実」を「虚構」(=「物語」)の力無くして生きることはできないのだ。

物語の力というものは、前述カフカのくだり、大切な人形を失ってしまった女の子だったり、あるいは童話のマッチ売りの少女が凍えながらマッチを擦って見た夢のように、苦しみの内にある時にこそ最も劇的に作用する。この小説の登場人物たち― 現実世界においてまるで無力で頼りない(僕のような)だめ人間たちが、絶望に心を喰われそうになりながらも生きているのは、まさにこの「物語の力」を信仰しているからに他ならない。彼らはマッチを擦って安楽死しようとしているのではなく、物語の力によって現実を改変しようとしている。そんな彼らの姿は、あまりにまぬけで滑稽で、しかし気高く、とても愛おしい。あの本の一行、あのレコードの一音、あの映画のワンシークエンス・・・それらが心の空洞に流れ込んでくる瞬間、世界のネガポジが反転して、全く新しいものになるかのような”あの感覚”(それを「希望」と呼ぶこともできるだろう)。それがあれば、現実は決して改変不可能なものなんかじゃないのだ。



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No title

いつかは長崎に行ってアバランチ行けたらなぁーと思っていたのでもう終わられてしまうのは非常に残念です。。。
このブログを通じて音楽にしても映画にしても多大の影響を受けてるものとしてはぜひブログだけでも継続してほしい限りですが。。。
洋邦問わずただおもしろくて良い音楽を探しに突っ走るアバランチの皆さんの最後のイベントが成功することを祈ります!

No title

てと様、いつも読んでいただいているというだけで幾ら感謝しても足りませんのに、そこまで有難いお言葉を・・・!!!イベントもブログも続けてきてよかったなあと思います。

アバランチが終わっても、読んでくださる方がいらっしゃる限りブログは続けていきたいと思いますし、何らかのかたちで新たなイベントをやれたらなあと考えているところですので、ぜひ今後とも御贔屓にしていただきたいです。本当にありがとうございます!最終回、がんばります!
プロフィール

livingfortheweekend

Author:livingfortheweekend
AVALANCHE (The Final!)
2013 3.16(sat) @Big Deal
open 22:00
charge ¥1500(w/1drink,snacks and CD-R)

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